studioCampanella blog

どうも生きづらい貴方と僕と音楽と

2017-06

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「間」

 
 空間を押し開く唄声、

 鳶のように漂いながら唄を追う笛、

 中空に足掛かりを穿つようにして唄を支える三絃、



 邦楽というのは、楽音を発想する段階から非常に洗練されているなぁ。
 それぞれの楽器の音楽的役割を聴き取ると、あの緊張感に満ちた空間がどう維持されているのかが解って、面白く感じると同時に、美しさに舌を巻くよ。





 地唄舞というのをTVで観たのだけど、これが凄かった。

 舞というのも、楽器演奏と同じように、一呼吸一呼吸の動作がそれぞれ「間」を持ち、表していると思う。「間」というのは、

  様々な精神的距離感を咀嚼し第三者(普遍的立場)として事象を捉え直し、
  そうして出てきた心象を象徴した空間、

 という無意識の複雑な計算結果だ。
 別段これは文章化しなくてもやはり漠然と感じることで、人として自然に培う感性なんだなあ。



 あの動きは多くの場合、伴奏とは別の時間軸でありながらも楽音に呼応していて、それは紛れもなく高度に特化したリズム感だ。タイミングとして「正解」が確かにあるし、観ていてポリリズム的な快感がある。
 しかしその正解を求める事が出来るのは、心臓の鼓動に由来するプリミティブな「体が納得するリズム」ではなくて、もう少し高度な、精神性を背景とした意志決定に由来した、「精神が納得するリズム」だ。だから計算結果としての「間」や距離感の概念が生きた、複雑でより相対的なものになっているんだと解る。

 雅楽にせよ能楽にせよ舞台音楽にせよそうで、しかし民謡なんかではそうでない事も多いということを考えると、芸能として昇華をはかる上で意図的に精神性を重視して音楽表現を行ったんだなと思うし、そうするに至った「精神に対してストイックな精神性」というものが、自分は好きだなぁ。勿論民謡も大好きだけど、最近ああいった芸能に興味が強く湧いてきた。
 日常で耳慣れた西洋のリズム感に、ずっと食傷しているというのもあるけれど。




 日本人はリズム感が無いとよく言われるけれど、この距離感というか、間の選択のセンスというのがあって、民謡なんかでも、ちゃんと聴いてみるとあれは凄くスタイリッシュだというのが解る。ノリが求めればホイホイと拍を変えて柔軟に小気味よく進む。4/4にいきなり3/4や5/4を挟む、炭坑節「月が出た出た~月が~出た~ヨイヨイ」の次に来るのなんか正にそうだし、フレーズのきりが良いからといって直後の裏拍からいきなり元の流れに戻ったりすることも多い。というか、全体的に2/4拍子だからしょっちゅう4/4と2/4を行ったり来たりするもんだし。自由で伸びやかで気持ち良いよね。
 パット・メセニー・グループを聴いて感じた音楽的自由度と同じ、つまり歌心こそを優先してリズムを組み立てるという柔軟性、しなやかな音楽性が、民謡にもあるよ。ダイソーで100円でCDが買えちゃうよ。




 日本の音楽の事を考えるようになって、自分の音楽制作の上でも、音の表現や間の感じ方、その辺りをより深く考えるようになったなぁ。と思います。4/4拍子、4小節区切り、そういうのは、もちろん悪くないけど、囚われちゃうと画一的で詰まらない音楽性の範囲でしか曲が作れなくなっちゃうんじゃないか、と思う。大事なのは歌心で、歌心には「間」が必要だ。



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