studioCampanella blog

どうも生きづらい貴方と僕と音楽と

2017-06

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まだ働く気が起きなくて困っています。


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創作が苦しいのは、それが他の誰でもない、自分自身を晒し出す行為だから。
その作品を通じて受け手の価値観と触れ合おうとするにあたって、
自分の価値観はこうだというプライドに自分自身が負けないために、
いつでも力の足りない自分をギリギリまで鍛えながら、
作品と取っ組み合い続けることを余儀なくされるから。

そういう苦しみに身を置いていない人間が
創作がとか作品がとか口幅ったく語るのはおかしい。
もっと謙虚になるべき。



_____

(追記)

友人に「俺のことか」などと言われてしまったりしたので
補筆しておきます…(;ФωФ)


創作と制作には決定的な違いがあるということです。
創作をしていない人間が、なにをか勘違いして創作している気になって、
「創作とは」「作品とは」などとうっとり語るなという意味で書きました。

プロだろうが小学生だろうが、創作活動をする人間はみんな
上で述べた苦しみと恐れを当然のように実感している。
自己があって、それが投影されるから創作になる。
例えば美術の授業でもなんでもいいけど、創作に及び腰になる人によく見られるのは
これが自分の出力だと外側に示すことに、照れ、恥ずかしさ、怯えを感じている状態。

そこで創作の喜びが勝って、晴れて出力に至る。
そういった出力こそが創作で、つまり自己があるから創作がある。
創作する人間が生み出した作品に愛着を持つのも、そこに分身としての性質があるから。

そういう、作品と自己とのパーソナルな関係性というものを持たない人間が、
その創作物に関わっているという理由でなにをか勘違いして、
創作とはこうだとか、作品と受け手とのあり方がこうありたいとか、
そういうことを創作者以上にうっとり語るのは滑稽で不遜だという話。
創作する者の心がちゃんとわかっていない人間に、
創作する者はついていかないんじゃないのか?という話。

大人数で作品制作をする時に本当によくある話です。
物を直接作らない人間が、昔から創作者に叩かれやすい理由です。


コメント

語りも大事、でも文句も大事かも

語りが過ぎる人は確かにうーん、と思いますけど、あまりに語らない人もそれはそれで不安になりますね。

語る人も良く考えてる人や挫折の経験がある人はふと自分の偉そうな発言に後ろめたさを感じたりしてジレンマを抱えたりもするんじゃないでしょうか。

一番はやっぱり創作に近い物として行動で示せることですけど、見せるのは下品だし頑張っても気づいてもらえるか、もしくはその頑張りが相手の基準に届いてるかはむずかしい問題かも。歩み寄る余地ならあると思います。

しかし創作者の苦悩って制作の中でもすごく重いですね。
振るわれると受け止めるのは誰であろうとほぼ不可能かもしれません。
だから最初はもうちょっと歩み寄った方が良いんじゃないかと思ってました。

でもこうして殴られることに耐えるのは企画者とかにとっては必要経費という考えも出来るんですね。ひょっとしたら思い切りぶん殴って轟沈してもまた立ちあがったらちゃんと認める、ってのがフェアな創作者と企画者(クライアント?)の関係かなとも思いました。

読んで考えてみたことを書いてみました。全然的外れだったらごめんなさい。

みーまー届いたけど本が分厚くてCDケースを閉めることができません><助けてください><

inazawaさんの音がもっと聴けたら、私は幸せです。

同上

創作物を買うことはただの金銭のやり取りを越えた何かだと
お恥ずかしいことに初めて気付かされました。

ところで、みーまー拝聴させていただきました。
毎日聴いています。最高です。
アルバムの方も楽しみにしています。
しかし「楽しみにしています」という言葉がinazawaさんを
余計に苦しませてしまうのでしょうか。

しんどいけど、

最後の最後は楽しくないですか?>創作
音楽だって絵だって、研究だって設計だって、きっとみな一緒です。
自分で掲げた高い理想に、融通を利かせたり諦めたりできなくて、「神様神様」言いながら這いつくばって創るくせに、いざ発表しちゃった後は、作品を見返して「俺ってやっぱ天才じゃね?」って飛んでっちゃう。
前者は死にたくなるほどしんどいけど、後者は長生きしたくなるくらいたのしいです。
一度後者を感じちゃうと、ただの制作なんてできやしない。

良いことが聞けた気がする。

日々学ぶことばかりです。

露出狂と芸術家は紙一重

どちらも鈍さと鋭さが命取り(∩´∀`)∩

たまには左斜め上時空にすべりこんでみたらどうかしら。

コメント失礼します。一ファンです。
小学校の図工の時間は恥ずかしくて恥ずかしくて手が進まず、いつも最後まで居残っていたことを思い出しました。
完成したものもそうですが何より作ってる途中を見られるのがイヤでした…
まわりの子はパッパッと済ませてるような気がしてたのですが、
あんな風に恥ずかしがってるのは自分だけではなかったんですね。(当たり前ですが!)

コメントたくさん本当にありがとうございます。

もうがんばりたくないのに、という感じが続いて、人生今くらいサボってもいいよね状態で最近過ごしていますが、たまーに嬉しいことや楽しいことがふっと湧いて、少しずつ気力を補充させてもらっている感じです。
一段落したらちゃんとお返事かきたいなと思います。

∩( ・ω・ )∩  ← すこし気力があるさま

いまさらですが…!


●鯛の小骨さん

>ふと自分の偉そうな発言に後ろめたさを感じたりして

格好つけようとしたり調子に乗ったりするとみっともない言動になるんだな、っていう痛い経験を誰しも持っているわけで、まあそれでも繰り返しちゃうわけですけど、要するに、認められたい願望が今現在の身の丈より強い時に、大仰な言葉がでてくるものですね(;ФωФ)

それらは向上心と表裏一体のプライド故だから、その行為が見苦しいなんてのは分かった上で、なんとか自身を鼓舞するために己の決意を述べる、共感を求めて己の苦痛を和らげようとする、そうしないとやっていけない部分がありますけど、そのなかに自己顕示欲という不誠実があるかどうかっていうのは、見抜く人は簡単に見抜くわけで。

企画屋がその作品を自分が作り上げたかのように発言すれば、実際の創作者を不快にさせるでしょうし、創作者が実際にもの作らずにべらべら喋って努力していない風だったら、企画屋は腹立たしいでしょうね。
結局、個々人の立ち居振る舞いの話だよなーと思います。


●匿名さん

閉まりませんよね(笑)
どうやって入ってたんだろうって感じです…(;ФωФ)


●reemさん

ありがとうございます。
もっと必死になって自分名義の作品を作らないといけないと思っています…orz

●通りすがりさん

音楽とか絵とかって嗜好品という要素が強いですからねぇ。
でもだからこそ、他者の人格がその自分の出力を欲してくれた、という事実が浮かび上がる気がします。

昔、ある人が言った言葉で今でも憶えているのが、
「その日暮らしの人間の、これが無いと食べるものがないという、その千円札を差し出させたい」
というような内容で、究極的にはこれが理想なんだよなあと全く思います。

だから「楽しみにしています」で苦しむことはないというか、
そう言ってくれる好意に100%応えられたと自分で到底思えていない、っていう、力の足りていない部分がより悔しく感じられて、それが次への力になるという仕組みだと思います。
結局自分にプレッシャーを与えるのは自分ですからねえ…
というわけで、どうか楽しみにしていて下さると嬉しいです orz


●tさん

七転八倒の末に自分に勝つ充実感っていうのは、職人とか選手とかだと得られやすいのかもしれませんね。
成果と自分の苦労とが一本線で結びついているから。

人を使って成果を得る業種だとまた違った価値観になるとは思いますが、かたや職人気質の人ってのは自分以外をあまり信用できないから自分の世界に没頭するわけだし、両者は価値観から人間性から違うことが多そう。
よく「人種が違う」っていう言い回しが使われますね(;ФωФ)

●あおばさん

自分が大人になったと思ったら成長が止まるんだっていうのは、
而立を迎えた今こそしっかり思い出さなければいけないと思いました…! ひーー


●翠さん

その時空から出たら、たぶん塀の中だし…(´・ω・`)
でもいい加減この住環境に飽き飽きなので、そろそろ引っ越して気分転換をはかりたい。


●通りすがり2さん

いやーありますよね…。途中を見られたくないのもそうですね、
自分に出来るかわからないことをやらされて、それで恥をかくなんてまっぴらだっていう警戒だった気がします。
プライドが高いほうが自身を鍛え上げていけると思いますけど、作るのがただ好きでやってるってのとも違う苦しみと表裏一体ですねえ。



_____

なんか放置で溜め込んだせいで、すんごい頑張って文章書いた感が…
生暖かく流してやってください…!

コメント寄せてくださって改めてありがとうございました。
孤独に暮らしてるわりにmixiとかtwitterとかやれない性分なんで救われてます。
(そのくせ返事が遅いのですみません)

記事を書かれてからずいぶん経ちますがもし見て下さったら幸いです。
私は小説家を志す者なんですが、私も相手と議論して不快に思うことはしょっちゅうあります。

本当に相手は自分で深く考えてるのか、とか、単に相手は自分の理念を押しつけたいだけなんじゃないか、とか

しかし自分が他人のすべてを知らないのだとしたらその人の意見を否定する権利はあるのでしょうか?

私はいつもそう考えてます。
仕事に携わる人をすべて排斥してったら自分の無知は無知のままですから

創作してる人しか分からないことは確かに私もあると思います。しかし創作してないひとが知ってることもあるとわたしは思ってます。その点私は無知なわけです

そうゆうとき私自身は「いいとこ取り」しちゃってます。それ以外は「いろんな考えもあるなぁ」と流しで(笑)そのほうが気が楽ですし

ずいぶん偉そうなこと書いてしまいました(汗)
みーまーはとてもよかったです。応援してるので頑張って下さい

●舜さん

どうもこんばんは :o)
誤解されてしまったようですが、僕が言いたかったのは、創作の苦しみに人生を預けるという覚悟や業に、自分が身を置いているわけではないのに、そういう人達と関わっているからといって、自分が創作をしている気になって「創作の覚悟とは」みたいな発言を自分に酔って語るやつが案外いる、という話なんです。企画屋とか社長とか、そういう人が自己顕示欲を満たそうとした時に見える構図です。

僕のはじめの書き方が、こう、いろいろ誘発しやすい書き方だったかと思いますので、なんだか申し訳ないです(;ФωФ)ヾ
それこそみんな人生を賭して考えているような分野だから、熱い反応が多い話題だよなあと思います。

仕事上の意見交換の上ではまったく舜さんの言う通りといいますか、いいものを一緒に作ろうという意識があるならば、それが出来ない人はそもそも成り立ちませんね :o)

>僕のはじめの書き方が、こう、いろいろ誘発しやすい書き方だったかと思いますので

すみません(汗)私の誤解だったようです。
記事の主旨を誤り申し訳ないです。

確かにそうですね。なかなか独創性とか個人の個性とかっていうのは本来の意味で日本では理解されてない感じがしますし、やっぱり企画者側の音楽家への理解が足りないのかもしれませんね
自分の今まで必死で考えたものが他人にあたかも簡単であるかのようにふるまわれたら私も不快に思います

深く考えてる人が損して、何も考えない人が楽をするのは不公平ですよね

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